子宮疾患を抱え「妊娠は難しい」とされてきた私がハイリスク出産し、子供に障害があると解った今、何ができるのか。
出生前診断に対する葛藤や、難しさを増す子育ての苦悩なども交えてどのように判断し臨んで来たかをお伝えしたいと思います。
【出生前診断という葛藤】
私が妊娠したのは40歳。明らかに高齢出産でした。
医師から早々に羊水検査の説明を受ける事になりました。
検査を受けて流産するより、先天性異常を抱え産まれる確率の方が高いからなのです。
現在では血液検査で染色体異常を見つけられるようになりましたが、当時は羊水検査しか選択肢がありませんでした。
同時期に妊娠出産した友人達は等しく悩みながら検査を受けていました。
「結果を待つ間の苦しさがたまらない、時間が長く感じられた」
そう語っていた様子から、命の線引きについて悩み苦しんだ事が伺えます。
私達夫婦は『とにかく産みたい』という思いが強く、流産のリスクを避け検査はしませんでした。
結果論になりますが、検査していた方が良かったかもしれないと後悔している点もあります。
妊娠中の安心感こそが『胎教』に繋がると今ならば思えるからです。
ハイリスクであった私は怯え過ぎていました。
胎児の発育が悪く、精密検査を受け続ける日々の中で「産まれてみないと解らない」という医師からの言葉に脅かされる事になりました。
大きなお腹を抱えた私が、心穏やかに過ごした日は一日もありませんでした。
その時を思うと検査をした方が良かったかもしれない…と振り返るのです。
【てんかんという病気を抱えて】
子供は1900gという小ささで産まれました。
破水をした事で更にハイリスクになった私は、分娩室に入って3日目の朝に出産。
既に小児科では子供を案じスタッフの皆さんが待機されていました。
無事に産声をあげても安心出来ない状況だった事は重く心の負担となりました。
多くがそうであるように、子供の産声を聞いて手放しに喜びたかったのです。
出産から3時間後、GCU(Growing Care Unit=回復治療室)に移り、初めて点滴に繋がれた小さい我が子を抱く事が出来たのです。
大きな問題は無いと医師に告げられたものの『今後も発達の経過観察が必要である』とし、自宅近くの総合病院(新生児科)へ紹介状が出されました。そして10日後退院。そこから困難は始まっていました。
こんなにも『飲まない、寝ない子供』を見た事はなかったのです。
動きすぎてミルクが飲めない。
満腹感が無い為か1日4時間しか纏まった睡眠をとらない。
そんな子供と向き合った辛さを思い出す時、他に方法は無かったのか?と自分を責めてきました。
生後5ヶ月の時、意識を失い顔面蒼白になっている状態に気付き、医療連携により神経内科にも通うようになりました。
食事中、入浴中…突然ボンヤリとしては顔色を悪くするのを幾度か経験し、1歳で群発けいれん発症。
本格的な『てんかん治療』が始まったのです。
小さなうちに“てんかん”を見つける事は難しいとされています。
むかし私の友人が、ご自身の闘病を語ってくださったおかげでした。
子供の脳波には異常があり、MRIを撮ると全体的に白いホツホツとした陰があるのです。
それを医師は『白質化』と呼び、治らないものと説明されました。
健康に産んでやれなかった…悔やんでも仕方なく、やり場の無い思いのなか闘病は続いているのです。
幸いだったのは、早期発見した事でしょう。
1歳から内服を始めたおかげで発作を抑えられたのは本当に幸いでした。
【バイバイが出来なくて】
離乳食が少しずつ食べられるようになった頃から、やっと纏まった睡眠がとれるようになった子供でした。
しかし、相変わらず動きすぎてミルクが飲めない事は変わりなく、エアコンのリモコンを押しただけで起きてしまう繊細さに家族は疲れていきました。
今思えば、聴覚過敏で眠れなかったのです。
子供の多動性は明らかでした。
トレーニングを積んだ大人でさえ難しそうな連続運動を見せたため医師に相談し、精神の発達外来へとまた医療連携されました。
そこで子供がした“逆さバイバイ”を見逃さなかった医師が『自閉症の可能性』について示唆し始めたのです。
“てんかん”と“自閉症”は合併しやすいと言われています。
しかし女の子であった為、確率は男の子と比べ10分の1であるとも説明を受け、暫く見守る事になったのです。
娘は怒られているという実感が持てず、ウルトラマイペースな行動が生活を滞らせました。
叱られている最中に笑い出し、怒鳴られると“大きな声の怖さ”で泣くのでした。
【無視していると思われて】
幼稚園に入園し、集団生活が始まりました。
一年目は、極度の緊張で疲れ果て帰って来ていた娘でしたが、年中になった頃から状況に慣れ“自己主張”が始まりました。
家庭では既に“天の邪鬼大魔王”である娘が、幼稚園でも同様な事を始めたのです。
先生からのお便りで「指示に対して無視するのではなく…」と書かれたのをきっかけに、家庭だけの問題ではなくなったという意識で子供を見守ってきました。
そんな時、家庭支援センターの相談員が幼稚園へ出張くださり、任意で面談をする機会に恵まれました。
「まずは、発達相談ができるクリニックで診断をして貰いましょう」
そういわれた私達は子供にテストを受けさせ、第三者の視点で精神発達の評価をしていただく事になりました。
娘の場合、知的には問題ないが発達障害の部類に入るだろうと…『自閉症スペクトラム』と診断されたのです。
ASD(自閉症スペクトラム障害)とは、発達障害の一つの分類で、社会性やコミュニケーションに困難を抱える障害です。 以前は自閉症、アスペルガー症候群などと別々の障害とされていたものを、一つの連続した症状としてまとめた新たな分類方法です。(四谷学院より)
恐らくそうであろうと覚悟はあったものの、いざ診断がくだった時の精神的疲れは計り知れないものがありました。
今までの困難が障害によるものだった…そう思うと疲れがドッと押し寄せました。
医師から「育て方の問題ではない、脳の器質的な問題だから御自身を責めないように…」そう言われても周りの理解は得られないだろうという呵責に苛まれました。
その後、療育(ソーシャルスキルトレーニングを行えるデイ・サービス)ができる大きな病院へと医療連携されました。
受診するまでの間、本を読み勉強する事を勧められました。
とにかく前へ進まねばならないという思いで“我が家なりのソーシャルスキルトレーニング”に取り組んできました。
しかし、本に書いてある事は“一般論”であり、子供の個性に置き換える事はなかなか難しいと感じています。
待ちに待って大きな病院へ行ったものの『療育に空きがありません、以上』となってしまい途方に暮れてしまいました。
今後、家庭支援センターとの連携を図って、これからどのようなケアをしていくべきか探っていく事になります。
【まとめ】
『人はだれでも発達障害』そんな本があると医師から聞きました。誰でも偏りがあり個性があります。
しかし生活に支障があるならば、それは“障害”と呼ばれます。
治る事は無い“障害”。しかしソーシャルスキルトレーニングを早い段階で積む事によって、支障が少なくなると言われています。
いま社会問題になっているのは、大人になって発達障害だと解るケースなのです。
早いうちに気付けた事は幸いだと医師から言われています。
子供の個性をどのように導いていくか…私達の取り組みは終わらないのです。