愛ってなんだと思いますか?
あるいは子どもに愛情をかけるってどいうことでしょうか。
あらためて聞かれると、考えこんでしまうかもしれません。
- ぎゅっと抱きしめる
- 美味しい料理を作る
- かわいい服を買う
愛の定義はひとそれぞれ、表現のしかたも違います。
今回は愛することと、赤ちゃんの成長について勉強していきたいと思います。
愛情不足。。。言われるとキツイ
本題に入る前に、まずおさえておきたいことがあります。
- 愛情が足りてないんじゃない?
- もっと愛情をかけないとダメだよ
- こんなに人見知りするのはママがちゃんと愛情をかけてないからだよ
このような周囲のひとの意見。そして愛情不足という言葉。
子育てをするママにとっては、心にズッシリと重くのしかかる響きがあります。
そりゃ明らかに育児放棄しているとか、虐待しているというような親に対する言葉ならわかります。
でも、私って愛情不足かしら。この子がこんな行動をするのは私の愛情が足りていないから?
と悩むママさんは大体、しっかり子どもに手をかけているし、愛情を注いで子育てしているひとがほとんどです。
なのに、こんな心ない言葉を平気でかけてくるひと、世の中によくいるんですよね。
しかもママの味方であるはずのパパや、ママの実親・義理親。
または病院の医師・看護師に地域の保健師、さらにはママ友など、身近なひとの言葉で傷つくひとは本当に多い。
そのひとたちは何気なく、アドバイスのつもりで言っているだけかもしれません。
でも悩むママにとっては、心をズタズタにする言葉のナイフなんです。
不用意に「愛情不足」という言葉をママに投げかけるのはやめてほしいと思います。
赤ちゃん。。愛情不足のサイン
自分では一生懸命やっているつもりでも、赤ちゃんにちゃんと愛情が伝わっているか不安というママもいらっしゃると思います。
愛情が足りてない場合は、赤ちゃんはどんなサインを出すのでしょうか。
一緒に勉強していきましょう。
- 爪を噛む
- 頭を壁にうちつける
- 髪の毛をむしる
- 自分の手などを噛む
代表的なのは知らず知らずのうちに、自分自身を傷つける行為(自傷行為)です。
ただこれは一概にすべてが自傷行為とも言い切れません。
頭をうちつけるのはそれ自体を楽しんでいたり、まわりの大人が大騒ぎするのを面白がっている、頭に響く音を楽しんでいるという説もあります。
また髪の毛をむしるのも、眠くなると子どもがよくする行動のひとつです。
ママはむやみに自分を責めず、まずはそれをやっている時の表情や状況を観察するようにしましょう。
本来、愛情をかけてくれる身近なひとから十分な愛情をうけられないことで、他に愛情を求める行動をおこします。
- 感情表現や表情が乏しい
- 目を合わそうとしない
赤ちゃんなんだから、表情がなくて当たり前と思われるかもしれません。
でも赤ちゃんは生まれて2~3ヶ月もたつと、感情が発達して顔の筋肉を自分の意思で動かせるようになります。
そのためこのくらいになると、よく笑い表情で感情表現をし、興味のあるところには積極的に目をむけるようになります。
表情が乏しい場合は、大人が赤ちゃんの問いかけに反応をしていないことの現れでもあります。
- 〇〇してほしいという要求行動をしない
- 泣かない
- 極端におとなしい
- 赤ちゃんなのにあまり手がかからない
こうなるまでには、赤ちゃんからの働きかけが何度もあったはずです。
たとえば手を伸ばして抱っこをせがむ、泣いて感情表現をするなどです。
それをことごとく無視したり、長い時間・長い期間、放置していると「何をやってもダメだ、無駄だ」と赤ちゃんが学習してしまうんですね。
その結果、自ら要求したり相手に働きかけなくなり、赤ちゃんであっても無気力な状態になってしまうのです。
ここに挙げたものは、よく言われている代表的なものです。
赤ちゃんによって状況や性格・気質が違いますから、すべてが当てはまるというわけではありません。
ただ、もし心配な場合や思い当たる点がある場合は、まずは赤ちゃんにたくさん愛情を注いであげるようにすると、問題行動は減るかもしれませんね。
“ウサギは寂しいと死ぬ”は間違い、でも人間の赤ちゃんは寂しいと命にかかわることも!
昔はやったドラマや歌詞で“ウサギは寂しいと死ぬ”というものがありました。
実はあれ誤解だったり、科学的根拠はないものらしいんです。
でも人間の赤ちゃんは違います。
赤ちゃんは寂しいと命にかかわるという実験が過去に行われていました。
いまでは倫理的・人道的に問題になるので絶対に行われない実験です。
心理学や発達学、科学などない大昔は、そのような実験がふつうにされていたようですね。
そのひとつを紹介します。
神聖ローマ皇帝のフェデリコ2世(フリードリヒ2世)という王様がいた。
彼は小さなころからとても頭がよく、たくさんの国の言葉を話し、研究や実験にも熱心だった。
「言葉を教わらずに育てられた子どもは何語をしゃべるのだろう?」と疑問に思ったことをきっかけに、今回の実験を試みた。
捨て子の新生児50人を連れて来て、保母や看護婦に世話をさせた。
ただし以下のような条件を出した。
- 抱いて母乳を飲ませるのと風呂に入れるのは許可
- 目を合わせたり、あやしたり、機嫌をとったり話しかけてはいけない
結果は言葉を獲得する前に、赤ちゃんはみんな死んでしまった。
栄養や清潔という生きるために最低限、必要なお世話がされていれば生きられるはずです。
ですが優しく話かけられたりあやしたり、なでたりされなかったことが、結果的に赤ちゃんの命を奪うことになってしまったということです。
ずいぶん昔の話になるので、フィクションや脚色が加えられている部分もあるかもしれません。
でもこの実験は、あながち嘘と切り捨てられない、人間は愛がなければ生きられないという証明のひとつになったのではないでしょうか。
愛情不足。。体や大人になってからの影響
愛情不足が原因といわれている病気や症状、性格の傾向について説明していきます。
愛情不足は赤ちゃんの心と体、果ては将来の人間関係や社会生活にも影響をおよぼします。
- サイレントベビー
- 両親のケンカが絶えない家庭は、子どもはつねに緊張感を強いられている
- 上手に甘えることができない
- 心の萎縮をもたらす
- 自己肯定感や自信のなさ
- 人を愛せない
- 他者への攻撃性が高くなる
- 人の気持ちがわからない
- 自分の気持ちを素直に表すことができない
- 自己愛性人格障害
- アダルトチルドレン
- 愛着障害
- 愛情遮断症候群
それぞれの言葉や障害名について、簡単に説明しておきます。
サイレントベビー
感情表現が乏しく、オムツがぬれていても泣かない、身近なひとに笑いかけないなど、極端に大人しい赤ちゃんのこと。
手のかからない、お世話しやすい赤ちゃんと勘違いされやすい。
自己肯定感
これが自分であり自分は自分でいいという感覚。
自分の価値や存在を認め、正しく評価できる感情のことです。
反対の感情として自己否定感というものがあります。
自己愛性人格障害
自分を大切だと思う力である「自己愛」が未熟なため、ありのままの自分を受け入れられません。
このことにより他人の目が異常に気になる、自分が無限の力をもっているように感じる、他人に共感しにくい、過剰に傷つきやすいなどの特徴をもちます。
原因は明確にはなっていませんが、親からの共感や愛情が得られない幼少期だった、逆に過度に甘やかされたり過保護な環境で育ったなどがあげられます。
アダルトチルドレン
簡単にいうと、心は子どものままで体だけ大人になってしまったひと、もしくは子どもでいたい大人。
幼少期、親から何らかのトラウマ(親が何かの依存症・虐待や育児放棄など)を与えられた、家庭として正常に機能していない環境で育つことで発症します。
自己評価が低く自信がない、理由はないのに孤独な感じがする、人生に生きづらさを感じるなどの特徴をもちます。
愛着障害(アタッチメント障害)
幼少期の身近なひとからの虐待や離別によって、正常な愛着(心の結びつき)関係が築けず、子どもの情緒や社会性に問題をおこします。
表情が乏しい、強情・わがまま、まったく知らないひとにためらうことなく抱きつく、身近なひとに愛着をもった行動をしないなどの特徴があります。
愛情遮断症候群
乳幼児に多くみられ、成長過程で十分な愛情を得られなかったために、成長発達がおくれる状態をいいます。
愛情とともに、十分な栄養も与えられていないことが多くあります。
特徴としては栄養障害による体の発達の遅れ(低身長など)、極端なやせかた、表情が乏しい、ひとに関心をしめさない、無気力などがあります。
身近なひとにしっかりとお世話をされていないために、服が汚れている・お風呂に入っていない様子やおむつかぶれがひどいなどもみられます。
以上のように愛情が不足すると心と体、将来性に重大な問題を引き起こすことがわかっています。
甘えと甘やかし
甘えることは、愛情表現の一種といえますね。
みなさんは甘えと甘やかしの違い、わかりますか?
甘えは、大人にとっては「簡単に甘えるな!」とか「そんな甘いもんじゃない!」など、良い感じを持たないかもしれません。
でも赤ちゃんや子どもにとっての甘えは、とても重要なものなんです。
甘えの重要性
無条件に親や身近なひとに甘えられるということは
- 受けいれられている
- 自分という存在を認められている
と感じ、赤ちゃんのこころを安心・安定させます。
そうすると
- 自分はここにいていいんだ
- 自分は大切な存在なんだ
と満足します。
そして
- これだけ足元がしっかりしていれば、何があっても大丈夫
- 何かあればきっと親や身近なひとが助けてくれる
と自信をもって外にでていくことができるのです。
親や身近なひととの基本的な信頼関係や後ろ盾ができていれば、多少のトラブルがあっても、必ず立ち直ることができます。
家でいうなら、強固な地盤や基礎ができていれば、多少の揺れがきたとしても倒れることはないということです。
甘やかしの罪
一方で甘やかしとは
- 子どもができる力を持っているのに、親や身近なひとがなんでも手を出してしまう
- 悪いとわかっていながら自分勝手にさせる
- やりたい放題、わがまま放題にさせる
などのことです。
こうなると子どもは自分でなにもする必要がなくなり、結果的には自分で考えられない・親がいないとなにもできない子になってしまいます。
または悪いことは悪いと学ばずに、大人になってしまいます。
子育ての最終目標は“子どもを自分の力で生きられるひとに育てること”と言われることがあります。
甘やかしは、これと正反対の子どもを育ててしまうことになるのです。
甘えと甘やかし
甘えは赤ちゃんの人生で、いちばん最初の人間関係をつくる一歩であり、ツールといえます。
しっかりと甘えられ親子の信頼関係ができているかは、その後の人生に影響をあたえかねない、重要なポイントのひとつです。
また甘やかさないということは、正しいことを教え、その子のできる力を信じるということです。
甘やかしをしないことは、子どもをどれだけ信頼しているかということにもつながります。
愛情の注ぎ方
愛情をどうやって注いだらいいか、わからないママがいらっしゃるかもしれません。
「女性には母性があるから教わらなくても子育てができる」と言うひとががいます。
この言葉を聞くと「私は赤ちゃんを愛せない、母性がないからだ」と自分を責めるひともいるでしょう。
でもたとえばママ自身が愛情をかけて育ててもらっていない場合。
ひとは基本的には親にしてもらったこと・教わったことをもとに人生を歩みます。
親に愛してもらっていなければ、愛し方を教わっていないのと同じ。
ですから「自分はダメな母親だ」と責める必要はありません。
これから学んでいけばいいんです。
では赤ちゃんに愛情を注ぐ方法や伝えかたについて、考えてみましょう。
- 愛情の第一歩はスキンシップから、積極的に肌の触れ合いを
- 背中をゆっくりなでる
- どんどん抱っこする
- 1日1回はギュッと抱きしめる
- 手をにぎる
- 体をマッサージする
愛を伝えるための一番の近道は、やはりスキンシップ。
もっともシンプルでわかりやすい方法ですよね。
むかしは「抱き癖がつく」などといわれましたが、いまは子どもがしてほしければどんどん抱っこしてあげてという場合が多いです。
ただ中には、生まれつきスキンシップが苦手な赤ちゃんもいます。
その場合は無理をせず、その子に合った方法を探していきましょう。
- 赤ちゃんが発する言葉(アーとかウーとか、もうすこし大きくなると単語など)をマネして繰り返してみる
- 赤ちゃんの要求やサインにはしっかり答える
- 赤ちゃんと視線を合わせて話かける
赤ちゃんは自分が発した声や言葉・要求で、誰かが反応してくれるのをとても喜びます。
大人でも自分が何か問いかけたとき、相手がしっかり目を見て反応を返してくれると嬉しいし、もっと話したくなりますよね。
そして反応したりよく話を聞いてくれるひとには、信頼をよせます。
逆に自分が発したことに何の反応もなければ、悲しくなるし、もう話さないでおこうとなってしまいます。
赤ちゃんの言葉を繰り返すことは「あなたの話をしっかり聞いているよ」「もっとお話し聞かせて」と伝えることになります。
赤ちゃんは、まだ「好き」とか「大事」という言葉の意味は理解できないかもしれません。
でもママが話している言葉が、自分のことを愛おしいと思って言っている言葉か、そうではないかはしっかり感じています。
どんどん言葉で愛を伝えましょう!
あまりこのような言葉を言い慣れていないママは、ずっと言っているうちに慣れてきて、素直に言えるようになるかもしれませんよ。
- 一緒に遊ぶ
- 赤ちゃんのそばにいる
- 赤ちゃんのお世話をする
- 赤ちゃんに対する丁寧な関わり
当たり前に思われるかもしれませんが、これらのことも愛情表現のひとつです。
一緒の時間を共有する、何をするでもなくそばにいることも赤ちゃんが嬉しく感じる時間になり得ます。
どうやったら赤ちゃんが気持ちよく過ごせるか、考えながらお世話したり丁寧にかかわることが、赤ちゃんの大事にされている感につながります。
- 楽しい歌声
- おだやかな声・やわらかい声
- 笑顔
- 優しい表情
- 温かい手のぬくもり
- ゆっくりとした動作
これらは赤ちゃんが安心感をもつ動きであり、赤ちゃんと接する上で心がけたい姿勢です。
愛情の表現は無限であり、ひとによっては「あれもこれも!」といろいろ出てきますよね。
もちろん赤ちゃんに良い服を着せるとか、子どものために働くということも愛情のひとつでしょう。
ただ私は愛を伝えることは、さほど難しくない、ごく日常のなかにあるものだと思っています。
ママにも愛情は必要
愛情をかけるべきなのは、ママだけでしょうか?
「ママのいない私は愛情不足なの?」「私だけが愛情を注げばいいの?」
けっしてそんなことはありません。
愛情はママだけに課されたものではありませんし、ママの愛情だけでいいというものでもありません。
ママが愛情をかけるのが難しい時期は、ほかのひとが代わりになってもいいんです。
「自分がしっかり愛さなければ」とひとりで背負い込む必要はありません。
誰かの確固たる揺るがない愛情があれば、赤ちゃんは問題なく育ちます。
無償の愛に一番近い母性を与えている母親こそ、無償の愛での充電が必要不可欠だと思うんだ(白目)
— 月子モン☆テスキュー (@kinky_moon) 2018年2月21日
最後にママにも愛情が欠かないことを伝えておきます。
パパの愛情、両親からの愛情、赤ちゃんからの愛情などなど。。
誰かに愛をあたえるためには、自分も愛に満たされていないとできません。
笑顔でいるためには、ママも愛されていないと笑顔でいられません。
ママ自身もまわりのひとに、愛してもらって大切にしてもらってください。
ママも愛されるべき存在であり、大切にしてもらうべきひとということを忘れないでください。
こちらとても感動したのでどうぞ→子どもたちに「愛ってなんだと思う?」聞いてみら・・・純粋な答えに胸が打たれる TABI LABOより
まとめ
今回この記事をまとめるにあたり、私自身の親の愛情について考えてみました。
正直親には申し訳ないんですが「こんな愛情をかけてもらった」とはっきりといえるような思い出は、すぐには浮かんできませんでした。
よくよく考えて「そういえば運動会のお母さんが作ってくれたお弁当、美味しかったなぁ」とか「あんまり裕福ではなかったけど年に1度、夏休みは旅行に連れて行ってもらったなぁ」とか、だんだんと思い出してくる感じでした。
でも「しっかりと愛情をかけてもらった、親の愛を感じていた」というのは、なぜかはっきり言えるんですね。
私が思うのは「愛情ってそんなものなんだろうなぁ」ということです。
高い服を買うとか高級な食べ物を与えるとか、わざわざ服や食べ物を手作りするというような特別なことではない(もちろんこれも愛情です)。
つまり日常的に、日々何気なくやっていることが愛情なんだと。
「どうしたら喜ぶかな、どうしたら気持ちがいいかな」なんてその子のことを思いながらやっていることが、すでに愛情なんだろうなと思った今日この頃です。